この世はゲーム説という有名な仮説があります。
今日はそのことについて、掘り下げてみたいと思います。
この世はゲームチックな設定
自己啓発本やスピリチュアル系の本、はたまた日蓮宗などの仏教によると、
自分は既に完全体であり神や仏が内在しているという有名な仮説があります。
ドラゴンクエストの神父のセリフも「生きとし生けるものは皆神の子」といっています。
好きなセリフは「あなたは私で 私はあなたです」という言葉です。
ちなみに僕はいたってマトモです(笑)。
いままで生きてきて、その仮説も当たっている気がします。
二重人格云々関係なしに、
自分のなかには2人の自分がいるような体験があると思います。
例をあげるなら
- やらなければないらないと思っている自分と、怠けてしまう自分
- マイナス思考は良くないと考える自分と、次から次へとマイナス思考が湧いてくる自分
- ダイエットしたいと考える自分と、食べてしまう自分
仮説としても有名な例えですが、こう考えると神の一部であるプレイヤーが、自我というキャラを操作しているような感覚です。
「塩を舐めたときに塩辛く感じるのは、あなたが塩でないからだ」
という言葉を耳にしたことがあります。
喜び、怒り、哀しみ、楽しい感情
これらとは自分と一体でないからこそ、感じ観察することができます。
もしも、なにもかも思い通りになるとします。
たまたま買った宝くじ3億円の宝くじで大当たりして、そのお金で身体の病気、不快感が綺麗に治り先進技術の特殊機械によりイヤな記憶を選択して消すことができ、心も安定しパニック障害も完全に治り、飛行機で好きなところを行き来できるような状態です。
憧れる気持ちが強いですし、今まで苦労した期間が長ければ長いほど喉から手が出るほど欲しい状況です。
いままでの僕の場合ですと、その状況をイメージしただけで思考を止めて満足して終わっていたのですが、さらに突き詰めて考えていくと
・・・
僕のケースだけかもしれませんが、どこか物足りなく感じてしまうことも事実です。
運だけで手に入ったものは、同じ状況でも色褪せて感じてきます。
実はこの違和感は、スピリチュアルの定義でいう「生きる意味」に通じるものがあります。
・無意識は「なにもかもうまくいくという状況に飽き飽きしている」
・旅行に行くと仮定して最短ルートで行ってすぐさま帰ってくることだけが旅行の楽しみじゃない。あれこれ計画を立て、
道中やちょっとした思いがけないこと、お土産選ぶ、想像とは違った料理も旅の楽しみのひとつだ
・人は簡単に手に入ったものは大切にできない(byウシジマくん)
・彼女ができて楽しいけれど、彼女ができなくてモテなくて試行錯誤していた時期も楽しかった気がする(by友達の感想、経験談)
・苦手としていた人が思いがけない優しさをみたとき
・絶対無理だと思っていた仕事が他人の助けによってうまくいったとき
・誰もディフェンスをしてこないサッカーは誰も観に来ない
このような言葉を耳にし、考察すると妙に納得する部分が多いのです。
この世は、意外性を楽しむという仮説も成り立ちます。
初めから勝つとわかりきっているゲームほど退屈なものはないはず。
なにもかもうまくいくと確信しながらの、変調のない毎日もつまらないはず。
経済的にも裕福でなにもかも手にいれた人が、自殺したケースもあると江原啓之さんの本にも出てきました。
唄や本に、共感や感動を覚えることも少ないはずです。
宝くじで大当たりしていたら、お金を稼ぐたいへんさが身に染みてわからないものです。
肉体労働、デスクワークどれもたいへんです。
働いてみて両親の偉大さ、強い精神、慈愛の心が分かった気がします。
入社したところで何十年と定年まで辞めずに働き、ローンを払い、子供を2人育てる・・・
正直、自分にとってはウルトラC級並みに難しいことです。
自分場合、弱い人間ですからあぶく銭が入れば絶対に働きません。
あぶく銭がなくても、あまり働いてませんが(笑)。
疑問と気づきは2つで1セット。
順風満帆の人生は、旅行でいう最短距離で目的地に行って帰ってくるようなものです。
発見も少ないでしょう。
思い返してみても辛い記憶、苦しかった記憶、逃げたかった記憶のほうが頭に残っています。
リアル体感が味わえる人間というモビルスーツを着込み、自由意思を持って主役を演じに来たという仮説です。
うまくいかないであろうことが「うまくいく」、
うまくいくと見込んで予定を立てても、「思わぬ邪魔が入ってくる」
この意外性を楽しむフィールドなのかもしれません。
人生は、思った通りにしかならないが、思い通りにはならない。
この絶妙さがポイントなんだろうと思います。
あの世は果たしてあるのか、死後はどうなるのか
この世は陰と陽でできているので、あの世はあると自分は思っています。
情報社会の発達により、臨死体験や霊的現象などの不思議な体験は探そうと思えば、見聞きできると思います。
男⇔女
昼⇔夜
天と地
この世⇔あの世
あらゆるモノは、対になっています。
ということは、「この世で価値のあるもの⇔あの世では価値がない」
という公式が成り立ちます。
この世の苦労や悲しみは避けたい⇔あの世では経験したい
事実嫌なこと、苦しいこと、解決したいことがないと疑問を感じないし新しい自分の発見もない。
結局すべてを手に入れたであろう豊臣秀吉でも、死ぬときに辞世の句として
「夢の中で夢を見ているような 自分は露の如く消えていく はかない生涯だった」と残しているのです。
思い出と経験だけが残ります。
たくさん本を読んでいた時期があり、共通として書かれていることが死後に照魔の鏡を見せられるということです。
これがすごく恐ろしいものなんですが、
自分の生前の行いを観客の前で鑑賞するというものなんです。
正直いまの自分では見せられると、穴に隠れたいぐらいの人生や心情です。
ただ、まだクライマックスにはまだ間に合います。
悲劇か喜劇かはゲームの最後に分かります。
人生もゲームに例えるなら、最後のエンディングが最も重要です。
それに加えて、どれが正解かは自分で決めればいいという自由さがそこにはあります。
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