失ってみないと、ありがたみを忘れてしまうアルマジロです。
今回の内容は、ブログのメインテーマである“健康”がテーマです。
自分の経験を元に書いていきます。
真の健康体は絶対欠かせない
身体と精神の真の健康は、幸せになるために絶対に欠かせません。
ちなみに健康=病気がないことではありません。
真の健康体とは、不快な身体症状がなく、精神が安定していて、活力がある状態です。
そういった意味では、健康診断の評価が高くても健康とは限りません。
事実、自分自身の場合は健康診断で結果が悪くなく30歳まではB判定でした。
しかし、その時期でも常に体調が悪く、幸せと呼べる状況ではありませんでした。
- 体が毎日鉛のように重い
- すぐ疲れる
- 胃がいつも気持ち悪く吐き気のような症状が続く
- 頭は睡眠を取りすぎたかのようなボーっとした感覚の頭痛
- 眼精疲労、目がしみるぐらいのドライアイ
- ひどい肩こり
- ふわふわした感覚のめまい
- お腹の調子も悪い
- ひどい頻尿と残尿感
- 休みの日はほぼ寝たきり
- 緊張しないはずの場面で緊張感を感じ変な汗がでる
- 水分をとっても喉が異常に乾く
- 満員電車によるパニック障害
- 他人の車に乗るとのぼせたような感覚と恐怖感
- 血の気が引くような感じ
上記に挙げたのは、わたし自身の26歳から31歳までの健康状態です。
しかし、病院に行っても対症療法としての薬を処方されるだけでした。
飲み薬の種類は、常に5種類ほど飲んでいました。
内科などの病院では、診断結果は「不定愁訴」というもので簡単に片づけられていました。
※精神科では「強迫神経症」と「パニック障害」と診断
体調不良を訴える方も、似たような経験が多いと思います。
いまになって分かりますが、人間の身体は部品を並べて作ったわけではなく各器官や機能が密接につながっています。
なので身体の一部だけ治すということは、理にかなっていません。
現代医学では、特定の部分の症状を消すだけという場合が多いです。
そういった理由から、身体全体が良くなるが、ほんとうの治療なはずです。
20代中盤から30歳という輝かしい時期を体の不調で、台無しにしてしまった経験があるのです。
上記のような症状で、よくこの齢まで生きれたなというのが正直な感想です。
しかし、この5年間で得た体調不良や不快感を「どう改善してきたか」という経験を語ることができます。
いま健康状態や不定愁訴で悩んでいる方、もしご覧になっているようでしたら希望を捨てない下さい。
体調が最悪な状態が続いていた時期が長かったですが、いまはかなり改善している現実があります。
一番ダメなことは、心身の病気に負けてしまうことです。
「病気になることは不幸ではない、それに負けてしまうことが不幸なのだ」という言葉があります。
体調不良や不快感は減らすことはできますが、どれだけ努力しても「生、老、病、死」からは逃れられません。
しかし一番大事なことは「負けないこと」です。
病気になることは、体が警告として教えてくれている証拠でもあります。
幸せになるためには行動が必要です。
寝てばかりいる人生が幸せかといえば、そうではないはずです。
その行動を支える土台が、活力ある身体と精神です。
改善していった経緯等も今後詳しく書いていきますので、参考にしてみてください。
アーユルヴェーダという考え方
アーユルヴェーダという健康オタクの間では、有名な言葉があります。
健康にとって重要なことは、”心”、”身体”、”環境”などの全体としての調和が大事という考え方です。
真の健康を得るには、“身体”だけを良くするのでなく、“心”、“環境”も含めた全体観をもってよくしていかなくてはなりません。
このブログでは、そういった全体を良くすることを考慮して記事を書いていきたいと思います。
幸せとはなにか
辞書で引くと、「満たされて、楽しいこと」とあります。
昔は、三大欲求をはじめとする自分自身の欲が満たされることだと思っていました。
ある程度生きて欲求が満たされた経験も多いので、これに幸せを感じる事実も間違いではありません。
しかし、この齢まで生きてみて欲望に際限がないということも実感しています。
キリがない。
人間も動物の一種なので、減っては満たすということを繰り返すだけの行動、生活になってしまいがちです。
幸せを感じることも事実ですが、これだけでは永遠なるラットレースのようなもので、死ぬ間際に後悔してしまう可能性が高いことも事実なのです。
端的にいえば「残るものがない」という状態です。
満たされたときは幸せを感じるが、減ってしまってはまた不幸を感じる。この悪循環に陥ってしまいます。
また皮肉なことに人間の欲望はエスカレートするように出来ています。
現代の性産業などを見ると、そのことを如実に表していることがうかがえます。
ラットレースから抜け出すためには、左絵図の車輪のなかから、抜け出す必要があります。
自分自身こういった疑問に悩んでいた時期がありました。
そのときに仏教の法華経の教えに出会いました。
法華経では、人間の精神状態等の生命の状態は10段階に分かれていると説きました。
いわゆる「十界」呼ばれるもので、仏法の生命観の基本となるものです。
「十界」のなかでは、自分の欲が満たされ幸せを感じている生命の状態は、10段階中の6番目「天界」とそんなに高くありません。
そのうえの4つの境涯はどういう状態かというのは興味深い話だと思います。
なぜなら自分の欲が満たされることが、最上の幸せと思っている人が多いと思うからです。
ちなみに十界の最上級である「仏界」とはどういう状態なのか。
「絶対的な幸福境涯」であり「生きていること自体が幸福であるという境涯」です。
欲が満たされないから不幸とか人間関係が悪いから不幸になるという不安定なものでなく、常に絶対的に幸せを感じることのできる状態です。
また欲が満たされたときに感じる幸せと違い、減ることはありません。
欲が満たされて気持ちよく眠りについたのに、朝起きたら会社への出勤で憂鬱ということもありません(笑)。
そこに到達するまでの代表的な道のりは、「他人のために生きる」という行動です。
心理学や科学でも証明されていますが、ほかの人のためと行動すると幸せを感じるということが既に証明されているみたいです。
他人を幸せにするという行動は、月日が経っても幸せな感情が無くなることはありません。
ただ、やはり自分自身が満たされていなければ、他の人にまで気が回らないということも現実です。
釈尊は、自己の尊厳性を自覚することによって他者の尊厳声を知り、尊敬することを教えました。
これが「慈悲」と呼ばれるものです。
誰にとっても自分以上に愛しい人はいない
自分を愛するものは、他人を害してはならない
釈尊が、ある大王に対して教えた言葉です。
まず自分自身を満たし、他人も幸せにする。
自分の身体が不健康であれば、その活力も湧いてきません。
マレーシア大富豪でさえ「勉強」、「仕事」よりも「身体の健康」が大事といっています。
幸せになるための行動を実践するためにも土台である真の健康体は必要不可欠なはずです。
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