この記事は、主に創価学会入会時に抱く疑問点などに焦点を当てて書いていきます。
僕自身も入会時にいろいろ疑問に思ってましたから、参考になると思います。
僕自身が入会した経緯なども別記事に書きたいと思います。
信仰は興味ない、メンドクサイ
以前の僕自身も、「創価学会」、「日蓮宗」、「法華経」といった言葉を聞いただけで拒否反応を示していました。
オレをまた騙そうとしている!みたいな(笑)
よっぽど地獄を見た人生じゃない限り信仰に興味がある方が珍しいです(笑)
ただ、実家がけっこう信心深い家庭でしたので、子供の頃からお寺の住職を呼びお経をあげてもらっていたので自分は少しは取っつきやすかったのかもしれません。
特別視しがちですが、実際の日本の風習には初詣に行ったりクリスマスをお祝いするというような宗教行事と関わって生きています。
キリスト経や仏教を都合よく取り入れています。
本来宗教はそういった意味でも生活に関係はあるのですが、興味がなくなった原因として、現代の日本の宗教が儀式としての役割しか果たさなくなってしまったからです。
法華経もうまいこと活用すればより充実した生活が送れるとも思います。
例えば、題目を唱えてみたりお経の意味を勉強するなどです。
お経も訳の分からない文字が並んでいるだけと思われますが、きちんと訳してみると会話形式になっていて実生活の悩みの解決に一手を担います。
結局、時代が進んでも人間が悩む内容というのは昔からそんなに変わっていません。
代表的なものいえば、
- 人間関係の悩み
- 健康の悩み
- 将来についての悩み
- お金についての悩み
果たして、これらは現代特有の悩みでしょうか。
ちょっと学をはじめてみると「あれ、良いこと言ってるぞ。ひょっとしてプラスになるんじゃないか。」と思えてきます。
ちなみに人は、なにかを信じる気持ちというのが予めセットされています。
「この先もなんとかなる」、「うまくいく」という良いものから、
「オレはきっとうまく行くはずない」などマイナスな思考もある意味なにかを信じているともいえます。
サッカー日本代表の試合で逆転を信じて手を合わせて祈っているのもそうですし、雄大な自然を前に神秘的な気持ちになったりします。
実はお墓参りも表面的には儀式的に行っている場合も、心の奥底では見えない力というものを信じているという行為の一つです。
そうやって捉えると信仰という行為も、人間としての自然な心の動きです。
忘れがちなことですが、日常生活でも人間はいつも何かを信じながら生活しています。
食についても、道路の青信号を渡るにしても信じるという行為です。
信仰といっても生活から切り離された特別なことでなく、何を信じて生きるかということであり、生き方そのものともいえます。
東日本大震災の時に多くの若い人たちは、ボランティアや募金活動に協力をした場面が印象的でした。
それは現代はお金や物の豊かさだけでなく、もっと人間的に豊かな深い生き方を求めているのことも事実です。
学会にはそういった良い生き方を求め語り合う「場」があります。
そして、実生活の中で充実と幸福を感じているのも事実です。
より充実した生き方を求めている人には、必ずなにかしらの力になっていきます。
それは、題目であったり会員の方同士の会話であったりします。
多様な生き方を尊重している仏法でもあります。
芸能人のなかにも信仰している方が多い
創価学会は世界に広がり、全部で1000万世帯の方が学会に入会しています。
それだけ多くの方がすごいと心の奥で感じているからだと思います。
状況が好転した成功体験談も数多くあります。
芸能人として成功している方も、信心している方が多いです。
あのダウンタウンの松本人志さんも信心していたことは、あまり表立っていませんが、有名です。
ちなみに「法華経」、「南無妙法蓮華経」については、美輪明宏さんも太鼓判を押しています。
超大物の方がいうので、信憑性は高いはずです。
こちらの本でそのことが記載されています。
文章で伝えるというよりは、実際に肌で感じるといったほうが的確かもしれません。
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