中学校時代
中学時代を一言でいえば、「辛かった」とか「苦しかった」という言葉に集約される。
マンガやドラマみたいな楽しい学園モノには、未だになんともいえない青春アレルギーがある。
世間的には、人生のなかでの青春と呼べる輝かしい時期に該当するからだ。そういうのを引きずっているから、自分自身未だに中二病チックなんだよな。
交友関係
親友や彼女や恩師と呼べる人がひとりもいなかった。
いたのは表面的な付き合いするだけの人とイジワルしてくる人たちだけであった。
イジメとイジワルの境界線は曖昧だが、イジメってほどでもないし微妙なところかなと思う。
殴られるとかはなかったんだけど、作った作品を壊されるとか机あさられるとかされていた。
捉えようによっては、イジメともとれる生活であった。
本人がイヤがってるのに、そういうことやるからイジメの部類に入るとも思う。
どちらかというとイジられキャラであった。
全く相手にされなず存在感がないのも辛いのかなとも思うし、それを善と捉えるか悪と捉えるかは人それぞれなんだろうけど、自分にとっては辛い生活であった。
例えば、ロンドンハーツやめちゃイケといったバラエティー番組もある人をイジる内容だけど、人の捉え方によっては「イジメ」にあたるだろう。
自分の場合は殴られる蹴られるはなかったけど、消しゴムのカスを投げられるとか制服にテープ貼られるとか、カンチョウしてきたりとか局部を叩いて反応を見るとかそういう程度だったけど、悪い思い出として残っている。
自分自身プライドが高いというのも一理あって許せないんだろう。
実際いまでもあのときの夢を見ることが多い。
追憶のなかで、自分の不甲斐なさに苦しめられる。
死んで魂が浄化しない限り覚えているんだろう。
あまりに辛くて記憶に蓋をしている部分が大きい気がする。
るろうに剣心でいう「宗次朗」のように偽りの笑顔で笑って過ごす癖がついていった。
卒業アルバムも覗くことはできない。
笑顔で映ってるんだろうけど、心はぜんぜん笑顔じゃない。
「暗黒の学生時代」を過ごした人はここにもいるということ。
ただ、心がトゲトゲしくなってしまったということはすごい覚えてる。
部活動
どんな生活だったのか思い出してみる。
部活動はテニス部に所属していた。
朝7時15分までにはコートに入っていなくてはいけない。
家を出るのは6時半か・・・。
始業時間までみっちり練習してから授業を受ける。授業を受けてから日が暮れるまで、また練習していた。
土日もしっかり練習していた。
テニス自体好きだったけど、コーチに散々イジワルされて大人に対する不信感が募っていった。
家に帰るとグッタリしてたので、自分の体力の無さを痛感した気もする。
- 些細なことで自分だけ呼び出されて皆の前で徹底的に怒る
- 下級生と一緒に練習させられる
- ラケットで頭をよくド突かれる
両親に相談したが、辞めることは許されなかった気がする。
高校進学に影響を考慮したためだ。
3年間行えたことは奇跡に近い。
ただ、その代償は大きかった。
学校での授業
目が悪くて黒板がほとんど見えないけど、メガネをかけてバカにされた記憶が強烈すぎてメガネをかけることができず授業を受ける。
荒れている学校ではなかったけど、殴る、蹴るや金品の要求といった大々的でないはないにしろ、細々としたイジメに近い行為が連日続く。
給食はストレスで大半残していた。
黒板が見づらいまま午後の授業を受ける。
目つきが同一人物とは思えないほど、鋭くなっていった。
塾通い
部活動から帰宅して、ご飯を食べてすぐに塾に行く。
他校の人もいるし、精神的にもすごい疲れる。
心と身体が休まる暇がない。
いまとなっては塾がプラスに働いたって気はさらさらないけど、
親が決めたことは従わなければいけないというヘンな思い込みがあった。
次の日も6時には起床しなくてはいけないから睡眠時間は6時間ぐらいか・・・
顔も中学生とは思えないほど、老け込んでいった。
なにも信用できず心を閉ざした生活を送っていった。
学校を無断で休んだ時、世間体ばかり気にする親にも嫌気が差してすべてがどうでもよくなっていった。
このころから、心は完全に壊れてしまった。
楽しかったこと
現実逃避のように、相変わらずテレビゲームにハマっていった。
それとは併行して、CDブームもあってか音楽に夢中になっていった。
音や歌詞で自分の気持ちを代弁してくれているかのようで心が洗われる感覚になる。
オススメの音楽については別記事に書いていきます。
しくじりと思われること
- 私立の中学への進学も考慮しなかったしくじり
これを書くと元も子もないのは承知で書いている。当時はインターネットという選択肢がなかったので、親からの助言がなければ思いつきようもない・・・。
公立の中学に通うということは、環境的にすごく運が左右する。
人格形成においての大事な時期をそんな運に任せていいのか疑問だ。
私立中学になると学力、対人面接等で公立よりは対人面も含め環境がいいと思われる。
ただ仮に私立中学に行ったとしても自分が根本が変わらなければ、似たようなことで悩む気もする・・・。 - 自分の気持ちを殺してまで無理に学校に通ったしくじり
これも賛否両論あると思う。このとのきの記憶というのは強くその後の人生にも多大な影響を与える。当時はその世界がすべてだと思い込みがちだが、フリースクール、通信性いろいろな形態の学校がある。そんな中で、ガマンし続け、歪んだ人格形成されるのは多大な損害だということ。
いま思い返しても、小学校以前と中学校以前とでは心の状態が全然違っている。
ただ、これも強い心があれば関係なかったのかもしれない。 - クラスに苦手な子がいれば、次回進級時に別クラスを相談しなかったしくじり
限られた狭い空間で過ごすので、クラスの良しあしというのはすごい重要だと思う。
それを解決する情報や手立てが無かったから、当時は解決が難しかった。
できることといえば、自分を鍛えて変革するか、クラスを変える等の2種類しかない。
いま思うと本当に学校って閉鎖的な空間だった。
どちらもできずに八方塞がりになりがちだが、なにか行動を起こさないとそのままということは頭に入れておこう。 - やられたらやり返す心構えを持たなかったしくじり
武士道でもやられたらやり返せというものがある。
当時の自分はできなかった。
根底にあったのは「自分が悪いんだ」という感情であったと思う。
しかし、そのままにしておくと心の奥底にどす黒い感情のまま蓄積して、いつかバクハツしてしまうものなのだ。 - メガネを素直にかけなかったしくじり
当時はどんなに不便でもメガネをかけることができなかった。
周りの目を気にしていたし、実際からかわれていたからだ。
しかし、視力が悪いまま生活しているほうが被害が大きいということにいまさらながらに気付いた。
「そんなこと言われてもしょうがない」という開き直り精神が重要なんだと思う。 - 無理して塾に通ったしくじり
実際、自宅で学校の教科書と問題集を完璧にこなしておけば、事足りることがほとんどだ。
ただ、集中力を持続することが難しいのだ。
塾ではメガネをかけれず黒板が見えないストレスと、転校生のような雰囲気にのまれ他人に嫌われないよう気を使うストレスがすごかったように思う。
そんなストレスを抱えた勉強が身になっていたかは疑問だ。 - 家族にやつアタリしたしくじり
反抗期とい言葉があるが、反抗しないに越したことはない。
当時を思い返しても、暴言暴力をしてしまった時期があるが、いまでは反省している。
心に余裕がなかった。心に余裕があれば、そんなことはしようとは思わない。 - 女性にもっと積極的にならなかったしくじり
いま思うと不思議なんだけど、女子とは敬語でしか話せなくていつもオドオドした感じだった。
中学1年まではけっこう話せていたが、2年生になるとまともな会話ができなかった。
恥ずかしいというのと、必要以上によく思われたい感情が空回りしているような変な感じであった。結局、「異性関係は恥ずかしいこと」という世間の洗脳に見事に騙された形だ。人生というのは、一瞬一瞬で、二度と戻ってこないということを実感していなかったのだろう。 - 高校選びは可能な限り偏差値の高い学校に行かなかったしくじり
偏差値が高いということは、それだけ平均的に授業態度が真面目で、いじめは少ないように思う。 - 高校選びは九星気学の方位学も気にしなかったしくじり
数ある高校のなかで迷ったら、選ぶ基準として方位学的なものも参考にすればよかったとも思う。
編集後記
20年以上経った今も夢に未だに悪夢として出てくる。
ハングリー精神はなぜかないんだ全くないけど、僅かながら芽生えてくれることを願っている。
また「嫌われる勇気」にもあるが、解決策は原因よりも今後の対策に目を向けるべきなんだ。
中学時代に恵まれない環境で過ごした人全員がまともな人生送れないかといったらそんなわけあるはずもない。
いじめられいた芸能人、著名人もたくさんいます。
やはり、結局は自分自身じゃないかなと感じている。